かざみきもの学院
トップ 学院長 本校 松山校 万華鏡 イベント アルバム

<2015年9月>

 

つるの剛士さんのご両親に学ぶ

 夜仕事をしていて、休憩のためテレビをつけると、ファミリーヒストリーという番組で、つるの剛士さんが劇場の観客席に1人座って画面を見ているところが出てきました。私はこの番組は初めて見ました。ちょっと休憩のはずが、引き込まれて最後まで見てしまいした。
ファミリーヒストリーというので、番組は、ルーツをたどり、先祖のことまでよく調べているようです。お母さんは由緒ある家柄でと、鎌倉時代までさかのぼりとありますが、私は、そのことよりも、お父さんの、人として・親として、考え方・生き方 に興味がありました。 

 小さい時九州で土石流の被害にあった後、仮設住宅で暮らす中で、お父さん (祖父) は子供に楽器を与えたそうで、お父さん (貞夫さん) は高校の頃からクラッシックギターに打ち込み、お母さんとの結婚も音楽を通じてということでした。

 銀行での仕事は、生真面目、熱い営業で優秀な成績を上げていました。銀行が冬の時代を迎え、早期退職者を募ると、重苦しい空気の中一番に手を挙げ (50歳) ました。1年後には車用品販売会社に転職後も、同じように丁寧に熱意を持って対応し、43カ月個人連続1位を記録したとのことです。

 剛士さんが芸能界に入りたいとの話にも、賛成し見守っていました。 「羞恥心♪」 でブレイクした後、お父さんの兄弟が、 「芸能界は浮き沈みもあるし・・」 と心配してお父さんに話した時、 「 大丈夫 今はおバカキャラだけど、必ずやる。心配していない」 と言っていたそうです。
肺がんが見つかってからも、剛士さんの初めての単独武道館ライブが決まると、このライブに行くため懸命な闘病が続きましたが、叶わず亡くなられたそうです。(59才)

 お姉さんのお話ではお父さんの口癖は 「世のため人のためになるような生き方をしなさい」 とのこと。お母さん (奥様) は、 「闘病中周囲に弱音を一切吐かなかった。この人はこういう人なんだなって、初めて本質が分かった。強い人なんだと思った」 と言っておられました。

 ここから見えてくることは、子供のことも、世間が作った 「ものさし」 で見るのではなく、子供を信じ、自分の力で歩かせようという、親の大きな愛と強さだと思います。
今回、お母さんのことがあまり出てきませんでしたが、お父さんと同じく、反対することなく見守っておられると思います。さわやかで、明るく、笑顔でお話しされていたことからもうかがえました。
 
 「人として・親として・・・考え方・生き方・・・」
この方の 「生き様」 が剛士さん達だけでなく、多くの人の道しるべとなることと思います。

バックナンバーはこちら (毎月5日更新)

渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
▲このページのTOPへ
©2005 かざみきもの学院