かざみきもの学院
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<2016年8月>

 

私を育ててくれた人

 8月、毎年この時期になると、亡くなった人のことを思い出します。両親・夫をはじめ、身内の人はもとより、夫以外に知人の居ない土地での生活の中で、お世話になった方々、また、この仕事をするようになって出会い、教え、励ましていただいた方々・・・。何人もの方があちらの世界に旅立って逝かれました。
その一人ひとりの言葉の中から大切にしていることがあります。それらの言葉は、その通りの言葉だったか、そこから得た自分の言葉なのかはっきりしない部分もありますが、目から耳から全体から自然に学んだ多くのことはその後の私を育ててくれました。今になって自然に感じること、しみじみ分かることも沢山あります。

  松山時代は、私が付属中学での教育実習に行ってから私の中での教育への思いに火が付き、どうしても先生になりたいと思うようになり、卒業後すぐに群馬に行くことは見送りました。その年の県の採用試験も受けて県内どこへ配属されるのだろうと思っていた矢先、卒論の指導教官から松山市内の私立の女子高のお話がありました。当時の私は先生のお話なのでということと、単純に、遠くへ行かなくて市内に居られると思って決めました。
授業以外は、新任なのでもちろんクラス担任はありませんが、教務主任 学年主任 進路指導主任すべて責任をもっておられた先生の、よく言えば秘書、もう一つの言い方は雑用係になりました。1学年20クラス、進学クラスももちろんありましたが当時は商業高校なので就職する人が多く、3年生の担任は本当に忙しそうでした。親兄姉が先生といっても全く違う世界でした。

 求人があれば職員室の入り口の一角に掲示し、クラスの係が毎日それを見て、クラスに持ち帰り、掲示。希望者は担任に申し出て、本人と話し合い、納得したら、個人の情報を書いたものを提出。就職のお世話はもうお一人経験を積まれた先生がおられました。その先生とお二人で書類選考、結果を担任に報告。選考に通ると必要書類を用意するよう指示、通らないとそのまま返却。当初私はその書類を担任の先生の机に配り、集める、くらいの仕事でしたが、このシステムに無駄がなく、感動しました。これまで私が知っていた学校の職員室の雰囲気とは全く違っていました。その方は事務局ではなく、先生なので授業にももちろん出ておられました。
広い職員室の向こうの方は、チャイムと同時に帰る先生が多い中で、こちらでは周りが仕事をしている中で 「お先に!」 というわけにもいかず、その後も仕事を作ってしばらく居るうちに、色々なことを知りました。これだけ仕事が沢山ある先生方の中には、運動部の部長をしている方も何人かおられました。生徒 (部員) との話のやりとりも見てきました。これらのことがすべて私を育ててくれました。

 この学校で、母と同じ年齢の家庭科の先生に憧れ、私が 「大人の女性」 というようになったことは 2012年9月の万華鏡 ( 「家庭科の先生」)で書きましたが、私を育てて下さったこの先生もあちらの世界に逝かれました。
先生方は、育てた覚えはないと言われるかもしれません。私自身も当時はそういう風に考えてはいなかったと思います。不思議なもので、しばらく経ってから、長い年月が過ぎてから、ましてや、どんなに頑張ってもお礼も言えないところへ行かれたから特に思うのでしょうか。

  群馬で子育てしながら仕事をしていた頃、あることで知り合い、色々な面でとてもお世話になった方があります。知らない土地で子育は初めて、そうでなくても不安な中、仕事と同時に関連する色々な勉強もしている頃、何の心配もなく預かって、可愛がっていただきました。様々な相談にも乗っていただき、安心して向かうことができました。子供も大きくなり松山に住むようになってからお会いすることも少なくなり、ご病気だったことも知らないでいたことが心残りでなりません。
8月お盆の月にあたり、育てていただいた方々を想い、感謝の気持ちを伝えたいと思います。


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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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