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<2019年1月>

 

年頭に 母を思う

学院長  明けましておめでとうございます。
2019年、平成も、もう残り少なくなりました。寂しいような気もします。1月は、私の誕生月であり、母が他界した月でもあり、毎年、色々な事を思い出します。
人は、「普通」「当たり前」と思っていたことを、歳を重ねるにつれ、見方、感じ方が変わってきます。特に母の立場で考えることが多くなりました。

 先日、ある方から、「いただいた着物を洗い張りして仕立て直して着たい」 との相談を受けました。柄が大分前の物のようでしたが、なぜか母の着物を思い出しました。袖付けの部分の生地が弱っていて、針後の小さな穴がいくつもあり、裄をこれより長くとらなくてはいけないその方には無理でしたが、その方には大切なものかもしれませんし、私もとても好きな柄でした。着物の価値は、誰にでも共通する販売の価格とは違って、その人にとって大切な物ということがあります。そこで、この部分を避けて、きれいなところを使って、帯にしたらと思いました。帯は結ぶのに力がかかるからと心配する方もいるかもしれませんが、結ばない帯、 (胴の部分とお太鼓の部分を別にする。付け帯ではない) にすることにしました。この結び方はマスターしている生徒さんなので、決定しました。 

 子供の頃、母が着物をほどいて、洗い張りをしていたのを思い出します。小さい頃、すべり台のような板 (張り板) を立てかけていた光景が見えるようです。想像ですが、多分この頃洗い張りした物は母の着物に仕立て直すことはなく、子供の何かになったと思います。母は何でも自分で作る人で、何かが何かに変わっていることがよくありました。私が一番覚えているのは、着物ではなく、小さい時、私が大好きだった少し厚めの布のワンピースが、小さくなって着られなくなったので、私専用の座布団になっていて、とても嬉しかったことを思い出します。

 もう一つ思い出したことがあります。母は自分のことより周りの人のことを優先する人でした。父の叔母に当たる人が、縫物をするのに母に糸を通してほしいと時々来ていましたが、ある時、私が通してあげると言って、見て不思議なことに気づきました。
1巻の糸を何本もの針に通す。必要なだけ通したらそこの先にぬけないよう玉を作って持ち帰ってもらう。使い方は必要な長さで切ったら残りの糸の先に結び玉。また使う時は使った針は針山に刺し、次の針は結び玉を作ってあるので抜けることもなく必要な長さで切って・・・・。
母が考えたのか、その頃皆がそうしたのか分かりませんが、驚きでした。何年経っても、成人式の前日に、元気で(?)亡くなった母のことを、思い出します。

 年数を重ねるにつれ、他人の痛みを以前より分るようになりました。また自分にとって良いこともそうでないことも、誰かが私に何かを気づかせてくれたと自然に思うようになりました。

 今年が良い年になりますように・・・。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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